スクールカーストと井上くんと齋藤くん


みなさんお久しぶりです。牛乳飲みたいです。

いきなりですが、みなさんはスクールカーストをご存知だろうか?

多くの方はスクールカーストを知っているどころか、身をもって体験しているだろう。

それは古代インドの「カースト制度」に由来するもので、学校、クラスというソサエティにおいていわゆる「上級」の身分と「下級」の身分が生まれることである。


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ではこの上級、下級はどのようにして決まるのだろう?それは教育、いや教育対象者の年齢とともに変化する。

小学校では足の早い子が上級である。中学、高校では容姿の優れたもの、少し悪ぶっているものなどが上位にくる。

ここでみなさん、胸に手を当てて考えてみて欲しい。

あなたの小学校では本当に足の早い子供がカースト上位にいただろうか。

確かにそこにおおよその正の相関関係は見られたと思う。しかしそれだけではないはずだ。いくら小学生が単純だからといってスクールカーストという重大な事項を1変数で決め切ってしまおうなんて考えるはずがない。


私の経験談を話そう。


私が在籍していた小学校では「小便の時間が長い子供」がカースト上位を占めていた。

小便をする時間が長い=膀胱のキャパシティがでかい=偉い

私の小学校では謎の三段論法が常識として罷り通っていた。

人々は己のヒエラルキーを向上させるためにトイレを我慢したり、小便をゆっくり出すという反則紛いの技を磨いたりしていた。

かく言う私はと言うと、元々膀胱のキャパが小さかったので多くの尿を蓄えることが出来なかった。ヒエラルキーは真ん中ちょい下あたりであった。クラスのヴァイシャ的ポジションである。

そんなある日、隣のクラスの井上くんがトイレに現れた。

彼は我々の必死の戦いを見るとこう言い放った。


「おれ、小便止められるよ。」


この時カースト制度そのものが崩壊する音が聞こえた。

彼は理論上無限時間の間小便を出せる。いや、正確には出していないのだが。

そもそも膀胱のキャパを競い合っていたのに小便を止めては本末転倒だ。

己のヒエラルキーを高めることに熱中していた私達もこれには驚き呆れた。まさにあさまし。

結局膀胱のキャパに基づいたカースト制度はその日を境に廃れた。文化が崩壊するのはいつだって一瞬だ。



それから私は普通の学生生活を送った。

排尿に制約を受けることも無く、なんの不自由もなかった。中学は中学のカーストがあったが、私はシュードラにならずに済んだ。高校でもカーストに苦しむことなく充実した生活を送っていた。

そんなある日、やつは現れた。


ある日私がトイレに行くと同じクラスの齋藤くんが小便をしていた。

わたしも彼の隣に立ち、小便をする。

小便を済ませ、手を洗ってトイレを出ようとした時、齋藤くんを見ると・・・


彼はまだ小便をしていたのだ。


別に途中で小便を止めていたわけではなかった。彼は純粋な膀胱のキャパだけでこれだけの時間、小便をしていたのか。。。

十年前に崩れたはずのカーストが再び私の前に現れた。

しかしそれは私の知っているカースト制度ではなかった。齋藤くんはバラモン、いや富をもたらす神、ガネーシャになり、他の全てのクラスメイトをシュードラ、いやアチュート同等の存在だと見下していただろう。

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その日から私は平凡な生活を送ることさえ出来なくなった。唯一の存在、ガネーシャに畏怖の念を抱いた。彼は煩悩を超越した男。平成のガウタマシッダールタだったのだ。




時代は令和に変わり、先日、改元後初めて齋藤くんと会った。

彼と一緒にいる間、私はトイレに2回行ったが、彼は1度も行かなかった。

元号が変わろうとも、彼の持つヒエラルキーが落ちることは無かった。

私は今一度彼の偉大さに気づき、自らの惨めさに絶望したのだ。