ハタチの冬、新たな性癖に目覚めた
明けましておめでとうございます。
牛乳飲みたいです。
突然ですが、成人を迎えた当方、新たな性癖に目覚めてしまいました。
それについて話そう。
あれは昨年の師走のことだった。
街角ではクリスマスソングが流れ、世間は浮き足立っていた。
かく言う私はというと、その世間の風潮に反抗できずにいた。我が家では私の歌うクリスマスソングが絶えなかった。
ある日、私は風呂に入るために脱衣所にいた。私はウィンターワンダーランドを口ずさんでいた。
と言っても歌詞はほとんど覚えておらず、サビの最後の「walking in a winter wonder land」以外は全て鼻歌だったが。
とにかく私は上機嫌で鼻歌を歌いながら服を脱いでいた。「ふふふふーん、ふふふふーん」と言いながらにやけているパンイチの青年は日本全国を探し回っても私を含めて数人しかいないだろう。
そしてパンツも脱ごうと腰に手を当てた時、私は奴の気配を感じ取った。
そう。便意だ。
大腸は私の脳に直接語りかけてきた。「うんこをしなくていいのか?」と。
それは私を惑わせるのに充分であった。
読者の多くにとってそれは既知の事実であろうが、私は無類のきれい好きだ。
毎日一度は顔を洗うしうんこをした後は手を洗う。もちろんちゃんとケツも拭く。
そんな綺麗好きの私が風呂上がりにうんこをしてしまったら悔しいだろう。風呂に入る前にうんこをすればその後にシャワーでお尻をキレイキレイできたのに、と。
そんな未来を予知した私は身体の中にある便の全てを出し切ろうと決意したのだ。
その時私はパンイチであったが、うんこをするためにわざわざ服を着直す必要も無い。私はパンイチのままトイレに向かったのだ。
ところがどっこい。
我が家のトイレは換気のために年中窓を開けてあるのだ。たとえ冬であっても。
12月の外気は氷点下をかろうじて上回る程度。そこは紛れもないウィンターワンダーランド。凍てつくトイレに私はパンイチで挑んだのだ。
トイレの扉を開けた瞬間、肌を刺すような冷気が正面から襲いかかってくる。
このままでは死んでしまう。私は本能で開きかけた扉を再び閉めた。
しかし便意の勢いはとどまるところを知らない。私はうんこを漏らすか、凍死するかの二択を迫られた。言わずもがな、私の選択は後者であったが。
息を止めてトイレに入った。それはトイレが臭いからではなく、冷気を鼻から吸うと体内でショック反応が起こる恐れがあるからだ。
便座に腰掛けた時、私の全身にはおびただしい量の鳥肌が浮かび上がっていた。もしあの時家族が私の姿を見かけていたら鳥と勘違いしていたであろう。
そして私は排泄を済ませた。
自分自身のワンダーをトイレという名のワンダーランドに流してきたのだ。
用をすませると(ダブルミーニング)、私は風呂へと走った。そして長いこと私の最後の砦となっていたパンツを脱ぎ捨て、浴槽にダイブした。
あの時の気持ち良さはそれはもう言葉にならないものでした。
鳥肌にお湯が染み込んでいくような感覚。
あのかゆいような痛いような気持ちよさ。
これがクセになるんです。
そう、私が目覚めた新たな性癖とは、「限界まで体を冷やしてから風呂に入る」ことです。
幸運なことに私の排便ペースはちょうど24時間に一回であるから、いつも風呂に入るタイミングで便意に襲われる。いや、むしろ脱衣所で服を脱ぐことで便意が沸き立つのかもしれない。排泄版パブロフの犬というわけか。
とにかくこの冬、私はトイレで排泄しながら体を冷やす→風呂に入る、という黄金ルーティンにハマりにはまっている。
しかし、これを続けて良いのかという疑問もある。これは体に悪いのではないか。ある日本当にショック死してしまうのではないか。鳥肌が立ちすぎて、本当に鳥になってしまうのではないか。。。
まあもし本当に鳥になってしまっても、「立つ鳥跡を濁さず」というようにうんこを漏らすことだけは避けたいですね。
ウマァイ!