小便で繋がる友好の輪

こんにちは。牛乳飲みたいです。

今日はみなさんと、ある「気づき」を共有しようと思いブログを書いています。



それは小便器の間隔についてだ。

私は先日、何気なく大学のトイレで小便をしていた。

そのとき私は妙な安心感に対して違和感を抱いたのだ。


一見矛盾しているように思えるかもしれない。

安心感を抱いたことに対して違和感を抱く。  もしこの心情が真に存在するのであれば、純粋な安心感そのものを否定し得ることになるからだ。

それは紀元前のギリシャにおいて、当時の教えに反し無理数を発見したことにより教団に抹殺されたヒッパソスの行ったことと等しく、中世ヨーロッパでガリレイが天動説を唱え、投獄されたことにも等しい。


私はしてはならない発見をしてしまった。


禁断の果実だ。


現代のパンドラの箱だ。



世界の私を見る目が変わる。



嗚呼、道行く人の目線が痛い。





目線が痛いのは私がスマホを見ながらニヤニヤしているだけなのだが、とにかくあの時抱いた感情は珍しいものだった。


トイレで放尿をしている時、人間は無防備である。

その状態で隣に他人が立てば、警戒しないはずがない。

しかし意外にも私の抱いた感情は「安心感」だった。

これを一体どう説明しようか。



私は考えた。


三日三晩考えた。


起きている時も、寝ている時も。


そして昨日再び小便をしている時、気づいたのだ。


距離感だった。


それは、遠すぎず、近すぎない。

孤独感も、不快感も感じさせない絶妙な距離だった。


私は調べた。


「小便器 間隔」

このキーワードで検索すると情報はすぐに集まった。

まず、ある小便器の中心と隣の小便器の中心は75~90cm離れているという。


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そして、小便器の中心から両端までの距離はそれぞれ17cmずつである。


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すなわち、小便器の一端から隣の小便器の近い方の端までの距離は58~73cmである。


私たちが小便をするとき、その体の横幅は小便器のそれとほぼ等しい。


以上のことから、小便をするとき、隣の人間との距離はおよそ60~70cmであることが分かった。


この計算を終えた時、私の頭には一種の電流のようなものが流れた。鋭い刺激が大脳を襲った。


この数字に見覚えがあったからだ。


私の脳を襲った電気刺激の中、私の脳内は高校時代にタイムスリップしていた。


あれは高校3年の4月の時だった。


新学期を迎え胸の高鳴りを抑えられない18歳の私たちの前に現れたのは新しい担任のS先生だった。

その先生は東京大学の出身であり、物事を論理的に考え、何事にも理由をつけて行動する人物であった。


S先生は教室に入ると徐ろに教室の席についての説明を始めた。


S先生のスタイルは独特であった。


学生にとって出会いと別れのイベントである席替えを行わないという。

その方が友情が深まるそうだ。


そして、机の間隔は最も仲が深まりやすいように一定の距離で定められていた。




60cmだ。



60cm。




これは人間が自身のパーソナルスペースを侵害されている感覚を抱かないギリギリの距離だという。

そしてその中で最も親近感を抱きやすい距離であるそうだ。


実際、私たちは60cmの距離にいる隣人たちと仲を深めた。




タイムスリップから戻ってきた私は未だに小便器の前に立っていた。

隣には赤の他人がいる。


しかしそこには根拠の無い懐かしさがあった。


いや、私にはその理由が分かる。


この距離はかつて大学受験という大きな壁を共に乗りこえた仲間たちとの距離だ。



60cmという距離はこんなにも人を強くするのか。


小便を終えた私は社会の窓を上げながら顔を上げた。


隣の男とふと目が合う。


小便という行為を終えた二人の男の間に言葉など要らなかった。


互いに小さく頷くと、目で微かな笑いを作り、そして私は便所を後にした。



こんな場所だったのか。


私たちが普段何気なく使っているトイレという空間は、神が人類の平和を願うために創造した「聖地」であったのだ。


その距離感は互いの尊厳を認めつつも相手を知ることに適している。





1960年代。

当時の音楽を席巻したジョンは、詩を歌に乗せて、世界平和を説いた。



そして現代。

トイレという空間が行おうとしていることはジョンと同じなのだ。


トイレという空間を通じて世界平和を創造している。


その儚くも勇敢な姿に人々の心は打たれる。


そして平和の輪は広がっていくのだ。


私もまたその力に魅せられた1人である。



私はトイレを出ると同時に感情を抑えきれなくなった。


とめどなく涙が溢れだし、嗚咽は止まらない。


行き交う学生が私を侮蔑した目で見下ろす。


しかしそんなことは気にならなかった。


私は天を仰ぎその場で叫んだ。



「ありがとう!TOTO


ありがとう!S先生!


ありがとう!ジョン!


世界平和万歳!!」




私の脳裏にはS先生の優しい笑みが浮かんでいた。



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